今日もぬりえ日和

趣味のぬりえの話を中心に、部屋の片付け奮闘記など

”描きたい物が無い”のにネットを鵜呑みにして絵の練習を始めると、先は地獄という話

…タイトルが長いうえに怖い(汗)

実は8月初め頃に10日位で辞めちゃったんだけど絵の練習を始めてました

といってもイラストを描いてたのは学生時代だけで、下手だった自分は劣等感こじらせてずっと避けたたのですが、劣等感を煽られる機会があって、だったら練習してやろうじゃないか!と

60秒ドローイングという短時間デッサンを始め、絵の練習法をネットで調べて、イラスト上達法を指南してるブログや「何ヶ月でこれだけ上手くなりました」系の記事を読んでるとどうにも違和感があって、モヤモヤして、もう少し落ち着いて考えてから練習を再開したらいいのではと、色々考えて思ったのがこの記事のあのタイトルです

(写真はその時描いたもの60秒じゃ無理なので各2〜30分はかかってます)

後から気づいたのは、こういう所で指南されてる、何ヶ月で上手くなったという人達が学んでるのは評価されやすいイラストの描き方だということ

それで技術が上がりはするんだろうけど、そこから起きる問題があってそれが大きく2つ

絵を描いて評価されることにしか楽しみを見いだせない

ただでさえ技術以上に習得の難しい、個性や魅力の種を速い段階で自分から捨ててしまい習得が困難になる

イラストを描いてた経験がない人が大人になって絵の練習を始める理由って大体”絵が描けたら楽しいだろうな”という漠然とした動機なんですよね

前の記事で挑戦するから楽しいと描いたけど、楽しめるのは具体的な目標を持った挑戦の積み重ねだから

これが、こういう絵が描きたい、これを表現したい、具体的な目標はゴールや区切りになる

上手くいけばそれで満足、上手く行かなくても、何故ダメだったのか考えたりしてまた挑戦、その繰り返しが私の思う楽しい挑戦

でも絵が描けたら良いな、という漠然とした目標にはゴールがない

そもそも絵が描けたら何をして楽しみを見いだせるかすらイメージ出来てない

だから結局、多くに人がやってるようにSNS(pixiv含む)に投稿する、そして評価される事を目指すしかなくなる

SNSで評価や、承認欲求を満たす事は、より多くのイイねを貰う、比較競争の世界で、そのライバルは実AIに描かせた絵をあげる人や、かつては情熱はあったけど今は承認欲求の為に絵を描いてるベテラン絵描きで、そもそも勝ち目すらも厳しい

絵を描けるようになるまでが大変なのに、そこから勝てる見込みの少ない不毛な戦いが続いていく、そもそもイイねの数なんて求めだしたらキリが無いから終わりがない、だから地獄

もう一つの問題は、元々こだわりや描きたいもののイメージが無い状態で評価される絵の描き方を学ぶので、その人の個性や嗜好、こだわりを考慮されない、下手したら邪魔になるということ

でも、自分の経験含めて言わせても洗うと、自分ならではの個性や魅力を出すって、それなりに手先の技術を身につけるより数倍難しい

むしろ技術が未熟な時の方が具体的な目標が見えてるから楽しいけど、ある程度技術が身について、それより先が目に入ると愕然とする

自分の個性や強みって案外自分では分からない、私の作品って普通じゃない?もっと私らしさや、自分だけの強みってどうやって見つけるんだろう?結局自分の嗜好やクセやこだわり、色々向き合って考え続けていくしか無いのかなと自分は思ってる

個性は育てていくものとして、種があるとしたら、先にも書いた通り、自分の嗜好やクセやこだわりがそれの元になるんだろうと思う

自分のこだわりも理解できてないうちに評価される絵を目指して、その種を捨ててしまったら、後で育てようとしても難しい

だからがむしゃらに手を動かす前に、自分が表現してみたいこと、やりたいこと、好きな事をきちんと向き合って考えて、それを見つけたらそこを目指して思いっきり頑張れば良いと絵の練習はお休みしてます

とはいえ、練習法含めてある程度は見えてきてるのでそろそろ動きたいのだけど、絵を描きたい動機が薄すぎて、腰が重い感じです

まだ時期じゃないのか、ただの怠惰か、難しい所

本当は他の趣味なら”楽しそう”ってだけで始めても良いと思うんですけど、絵が難しいのは、世の中に溢れてて見慣れてしまってる事と、自由度が高すぎる事が大きな原因じゃないかなぁとは思うんですけど、まぁそこら辺の話は次回があれば(あるの?)